今週感激したこと
・スーパーの半額ブリの刺身が超絶おいしかった件
200円くらいになってた刺身の脂の乗り方が尋常ではなかった。昨日食べた化学調味料満載量産型家系ラーメンの実に数倍の旨味成分があったに違いない。
・ニコタッチズザウォールズの活動終了
昔、手をたたけという曲が好きだった。今でもよく車で聴いている。
学生時代の仲間のうちでは、僕がこの曲を歌うと盛り上がってくれたので、思い出の曲でもある。
そんなニコタッチズザウォールズが、活動終了とのこと。
解散ではないということは、またいつかやるのかな?
バンドを長くやるというのは、やったこともないので想像でしかないが、相当難しいことなのだろう。
ましてや趣味ではない商業ベースでの話だから、売上もシビアに考えなければならないし、フロントマンの負担は相当なもののはずだ。
バンドといえば。
かつて、フジファブリックというバンドが、好きだった。今でも解散していないが、ボーカル志村正彦が急逝してからの作品は、はっきり言って好きではないので、僕の中ではいい思い出として終わっているバンドだ。
僕が好きだったのは、志村正彦の変態的作曲センスや、寂しげな歌詞や、決してうまくはないが味のあるボーカルだった。
もちろん、他のメンバーのスキルやセンスは相当なもので、残された彼らが嫌いになったわけではない。
しかし、曲を作る人、歌う人が違う以上、別物になってしまった感はどうしても拭えない。
初めて行った彼らのライブは、2010年のフジフジ富士Q@富士急ハイランドだった。
チケットは前年のうちに応募して当たっていたのだが、2009年のクリスマスに志村正彦は亡くなった。
当時センター試験直前だった僕は実家のトイレで携帯をいじっていたのだが、あまりのショックに出るものも出なくなったのをよく覚えている。
ライブは、ゲストボーカルを招いて行われた。
奥田民生が茜色の夕陽を歌ったとき、泣いた。
奥田民生は前年の0910カウントダウンジャパンでも茜色の夕陽を歌い、泣いたらしい。
音源だけでも残ってないかなぁ。
富士急までは、ひとりで行った。
青春18きっぷで在来線を乗り継ぎ、横浜から富士吉田市まで行った。
帰りはよく覚えていないが、終電に間に合ったはずだ。
周りではファンが大勢泣いていた。
志村正彦は、地元である富士吉田市でライブをするのが夢だったそうだ。
彼が亡くなってもうすぐ10年が経とうとしている。
死因は公表されていないが、なんとなく、いろんな重圧に負けたのだと思っている。
彼の最後のアルバム、クロニクルの歌詞を見ていると、ほとんど言っていることはひとつだ。それは、「寂しい、でもうまく言えない。ひねくれた自分を誰か助けてほしい」という思春期の少年のような孤独感。
音楽ですべてを表現してきた人が、音楽で躓いたとき(商業と自分の思いとのギャップも含む)、どうしようもなくなったのではないか。
彼の孤独がわかるとは言わないが、推測はできる。そういう思考になったとき、実際には誰か助けてくれる人がいたとしても、思考自体を閉ざして自己完結してしまいがちになる。
それは閉じた殻になってしまい、こじ開けようとする人がいない限り、永久に閉じたままになる。その輪廻のような自己完結のいく先、外界との隔絶は、自ら命を断つほかに解放される方法はないのかもしれない。
毎年クリスマスが近づくと、彼が生きていたらどんな曲を作ったんだろうと思いながら、一人で酒を飲むばかりであります。
初日記
日記といえば、高校のころ「プロフ」というサービスが流行っていたのを思い出す。
もう10年近く前になるが、ガラケー時代の高校生がこぞってやっており、プロフィールと日記をポチポチと打って公開し、仲間内でつながるという、今で言うせまーいSNSみたいなやつだった。
主な利用者は女子だったと思うが、男子はみんな目を血走らせながら、ほぼ監視に近い状態で見ていたような気がする。なぜなら、誰々が誰々と付き合ってるだの誰々先生が離婚しだのという情報の宝庫だったから。
モテない集団というのは怖い。いやモテなかったのは僕だけかもしれないが、今ならネットストーカーとして捕まってもおかしくない。
で、当時、そんなプロフをクラスメイトの男子有志数名でやろうぜ!という話になり、1から10までネタで作ったネタプロフを作った。
ドンキで買った馬のお面をかぶった奴がトップ画像をかざり、その馬がやっているという設定のプロフ、その名も「馬プロフ」が爆誕した。
もちろん、他の生徒をバカにしたりとかいう陰気臭い目的では断じてなく、ネタ交換日記や男子高校生特有のバカな行動の画像を記録する場として、後世まで語り継ぐために作ったものだった。
(今ではどんな検索の仕方をしても出てこないが。)
そのプロフのコンテンツ(笑)のひとつとして、日記があった。
最初はみんなで順番に書いていたのだが、だんだんみんな飽きてきて、ひとり、またひとりと離脱していき、更新間隔もひと月、ふた月と空いていった。
そして、最後に僕が残った。
僕は割と文章を書くのが好きで、侍魂とか僕の見た秩序とかの古き良きテキスト系ネタサイトを見て、そっち系の面白さに惹かれていたのがでかかった。
最初はくっっっだらないネタを書き続けていたが、だんだん書くネタもなくなり、最終的には音楽や感じたことなど僕個人の趣味的なところを書くことも多くなった。
共有していたはずのプロフは、HNだけを借りた僕個人のプロフに成り果てた。
ところで、プロフにはリンク機能がついており、友達のページにすく飛ぶことができたのだが、共有プロフかつ当初の目的からして本来とは大きく異なる当プロフは、当然、リンク機能など使っていなかった。
つまり、誰とも繋がらない孤島のようなプロフだったわけだ。
しかしながら、存在が噂になっていたのかわからないが、カウンターの回り方からして仲間内以外で見ている奴がいないと計算が合わないことがわかり、けっこうビビっていた。
1日100人ほど見ているときもあった。多いかどうかはともかく、他人に見られているというのは間違いなかった。
そうなると、書いている僕は嬉しくないわけがない。
嬉々として書き続け、1年のころに始まった日記は卒業間近まで断続的に続いた。
今思えばしょうもないことを書いていたのだが、高校3年にもなるとリアルでも「読んでるよ!」「おもろいね!」「アホだね!」と伝えてくれる人もちらほらおり、その度に赤面していた。
今ではそのプロフは跡形もなく消滅しているが、アラサーが近づいてきた今日この頃、寂しさも募る一方になり、ふと当時を思い出して日記を書いてみようかと思い立った次第である。
そんなわけで、あえて昔のようなバカさを思い出しつつ(今でもたいがいバカだけど)、ブログも続けられたらなぁと思っています。